のんびり生きる

哲学者面した女子大生二人による完全自己満ブログ

嫌いな言葉

わたしの嫌いな言葉は2つあります。
興味はないと思いますが共感を得たいというだけで
とりあえず書いていきたいと思います。

それは『うざい』と『可哀想』です。

なんで嫌いになったのか分からないですが
なんとなく気持ちがもやっとするんですね。
この言葉たちを聞くと。

『うざい』という言葉はとても便利だと思います。
なんかあったらとりあえず『うざい』と言えば済む感じがありますよね。
なんとなくの気持ちの表現がこの『うざい』という言葉に集約されてる感じを覚えます。
私としてはなにがうざいの?
ただ言葉を尽くしたくないだけの逃げなんじゃないの?
という疑問がでてきてしまいます。
この便利な3文字。
便利ではあるけれど、多用するような言葉ではないかなと思います。

2つ目の『可哀想』はこれまたもやっとします。
可哀想だからなに?ってなっちゃうんですね。笑
性格が悪いのかもしれません。
同情するなら金をくれと言われてるように
同情はあまり意味がないと思います。
(全くないわけではないです)
同情してほしい時はあります。
でも『可哀想』っていう言葉は
勝手な自分のイメージですが
見下してるような感じが含まれてる気がしてならないんですよね。
わたしにはどうしようもないけど
とりあえず言葉をかけておこうという
慈悲的な一面があると思うんです。
だからこそ『可哀想』っていう言葉を言っている人を見ると
あぁ、この人は相手のことを
自分より下の人間だと思ってるんだなぁと
感じてしまうことがあります。

そんなこと考えたことないって思う人もいるかもしれません。
少し考えすぎなところもあるかもしれないです。
でも日々の会話でどのような言葉が人を傷つけ、
なぜそれが傷つけるような言葉となり得るのか考えていかないといけないなと感じます。
使う人によっても言葉の伝わり方は違いますし。

一つ言えることは本当に言葉って難しい。

では。