読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

のんびり生きる

哲学者面した女子大生二人による完全自己満ブログ

やる気


やる気ってどうやって出るんですかね。

わたしはなにか強制力が働かないとできない
ダメ人間だなと最近思います。

だから自分を律し、ちゃんと物事を遂行する人は
本当にすごいなと感じます。

このままじゃダメだなぁと思っていても
体が思うように動かないんですね。

そんな自分を憂い、がんばらなきゃ後がないと
思っていてもなんとなく弱い自分がいます。

まぁこのブログは
ダラダラ書いてるだけなので気にせず
あ、こんなダメ人間いるんだ
と思って下されば、幸いです。

ちなみに解決策を書いてくれる方がいれば
とても有り難いです。

では。

人との距離感

前々から思っていましたが、
人との距離感って難しいですね。

今までの人生を振り返ってみて
いい距離感で接することができてる人は
何人ぐらいいるんだろうと考えた時
そこまで多くいないなと思います。

まぁなにをもっていい距離感というのかは曖昧ですが。

ずっと一緒にいすぎるのは
いい距離感とは言わないと思います。

ずっと一緒にいすぎて
よく喧嘩になることが多かったことを思い出します。

実際一緒にいて心地いい距離は
人によって違うと思いますが
わたしはずっとベタベタするよりも
ちょっと距離がある人と仲良くするのが
1番いいのかなと思います。

(もうこの時点でこのブログは
まとまらないと感じて来た)

わたしは中高一貫校に通っていました。
中学の頃はずっと同じクラスということはなく
ちゃんと一年に一回クラス替えがあり
そこまで周りに固着するわけでもないので
居心地の良さを感じていました。
(トラブルはありましたが)

しかし高校になって3年間クラスが
変わらないという鬼のような学校で
その頃は居心地の悪さしか感じず
わたしは他のクラスの子と仲良くしていました。
まぁ同じクラスの人が個性豊かすぎて
合わなかったのかもしれませんが。

でも仲良い子でもやはり
『今その子の気分じゃない』って
思うことがあるんですね。
わがままなので。

自分のペースにあった付き合いを
していきたいと思いますが
なかなか難しいもので辛いなぁって
思うことがよくあります。

仲良くなりすぎると
自分のペースも相手のペースも乱し、
共倒れする可能性がある気がします。
相手に執着してしまうってことですね。

今わたしは大学生ですが
中高の頃に仲よかった子とは
あまり会わなくなり、
ちょいちょい絡んでた子たちと仲がいいです。
(元からお互いのペースを乱さない関係だったので
意外と上手くいくんじゃないかなと思います。)

結論は特にありません。すみません。

それくらいの適度な距離が
1番自分に合ってるのかなと思う今日この頃。
というかんじです。

では。

人は見た目が100パーセントなのか

こんばんは。ミーハーです。

今日は昼にテスセンに行っただけで満足してしまい、正直進捗がヤバイです。

 

 

ですがブログは書きます()

 

 

最近就活をしていて、 

 

「見た目ってそんなに大事なのか」

「ブスに生まれた以上はお直しする以外ないな」

 

なんて思い悩んでいます。

 

そんな思い悩んでる矢先にこんな酷なタイトルのドラマが始まるそうで…

 

 f:id:ecstasy_fantasy:20170420204314j:image

  

 

世間はどこまでもブスに冷たいですね。(ドラマは楽しみです)

 

 

ということで今回は

 

 

人は本当に見た目が100パーセントなのか

 

 

ということについて考えたいと思います。

(あくまで勝手に考えるだけなので、客観的根拠なんてないです)

 

結論から言うと

人は見た目が100パーセントってのは間違いはないと思います。

いや、100まではいかなくても8割9割くらいですかね笑

 

 

ですが、これは難しいところで

「人は顔の造作が100パーセントか」

となると、答えはNoな気がします。

 

 

私は自分の顔が好きじゃないです。

 

 

暇さえあれば湘南○容外科のHPを見に行って整形費用について調べてるくらいには嫌いですし、

Twitterの美容垢界隈なんかもしょっちゅう覗いてます。

 

美容垢ってのは、「自分磨き♡ダイエット♡」なんて軽いもんではないです。

 

bioには「醜形恐怖症 済:埋没、鼻プロテ 予定:脂肪吸引豊胸」

みたいに書いてあるのが典型的な例で、

本当に深い闇を感じます。 

 

 

彼女たちは手術を繰り返し、顔を改造していきます。

しかし、多くはいつまで経っても納得はいかないんです。

 

そして彼女たちが口を揃えて言うことは

「世の中は全て見た目」

 

先述した通り、私も「世の中は全て見た目」だと思っている人間の1人です。  

 

しかし彼女たちの言うことは 

  

 

 

「世の中は全て顔の造作」

 

 

ではないでしょうか?

 

 

美容整形、私は全く悪いことだと思いません。

韓国のアイドルが好きってのもあって美容整形にあまり抵抗はないですし、むしろ出来るならしたいです。

 

しかし整形しても何度も何度も自分の顔に納得いかずに 

 

「今日も死にたい」

「綺麗な人死んで欲しい」

 

って言う人は本当に整形の意味あるのかな?なんて思ってしまいます。

(勿論、美容垢界隈全員そうと言うわけではありません)

 

 

持論ですが、私はアイドルやモデルではない限り、綺麗でいることは

 

「自分が心地よく、自由に生きるためのいち手段」

だと思ってます。

 

ですから、

「顔の造作のことばかりを考えて、

暗い表情をしながら自分の生きたい生き方ができない 」

のは

 

本末転倒な気がします。(持論でしかないです)     

 

 

表情って案外、見た目に表れます。

それに加えて教養も見た目に表れますよね。(教養ない奴の言う説得力の低さ)

 

 

表情・性格暗い、四六時中見た目のこと以外何も考えてない人は

正直どんなに整形しても綺麗には見えません。

 

 

ですが、

 

「どんなに整形を繰り返しても堂々としていて清々しい人(例:少○時代テ○ン)」は 

 

かっこいいと思います。

 

 

そして

「そんなに美人じゃなくても教養のある人、仕事で輝いてる人」は

 

めちゃくちゃかっこいいと思いますし、多少綺麗に見えます。

 

不美人として生まれた以上は、この二つのどちらかしか選択肢はないのかなと思いました。

 

「整形することに悔いはない!絶対今より幸せになれる!」

って思ってる人は前者

 

自分の倫理観が邪魔をする、整形しても自分に自信が持てなそう

だと思えば、後者を選べばいいのではないでしょうか。

 

 

私は実際かなりのコンプ持ちではありますが、強がりです。

 

前に親しい友人が「どうせ世の中顔かお金よね。私ブスだし僻みっぽいし」

と言っていたときに

 

「別に気にしなきゃいいんじゃん?

比べたらやってけないっしょ、自分は自分(かなり口から出まかせ)」

と言ったら、

 

「○○のそういうところめちゃくちゃかっこいいと思う」

って真顔で言われたことがあります(笑)

 

そのとき「そうか、これでいいのか」

って気づきました。

 

自分に自信があるように装うってかっこいいかもしれない。

 

 

 

不美人は人生茨の道かもしれないけど、

ある程度の不公平を覚悟すれば、

不美人なりに道を変えていける

 

 

そんな気がします。

 

いじけるブスより、自分に自信のあるブス(勘違い、傲慢なブスとは違う)

 

教養のないブスより、教養のあるブス(知識ひけらかし系ブスとは違う)

 

の方が多分見た目はマシに見えると思います。

 

あとは

体系や、清潔感、化粧、服装などの努力次第で綺麗に見えるところを意識すれば、

多少顔の造作のコンプを埋められるはずだと思います。

というかそう思わないと不美人はやってけません。

(さすがに佐々木希白石麻衣は顔の造作だけで優勝だと思ってます)

 

 

まとめると

・僻みは醜い

・大切なのは見た目(≠造作)

・不美人は不美人に生まれたことをある程度(ここが重要)は受け入れる必要がある

 

 

そんなところです

 

 

 

 

とは言え、美人を見ると僻んでしまうのが 女の性。

 

そんなときにSNSをはけ口として、匿名で僻みごとをいうのは全然アリだと思います。

吐き出すことで単純にストレス軽減になりますし(笑)

 

 

でも、悲観するだけでは何も現状は変えられない。

 

そう思うんです。ポジティブに行くしかない。

 

 

 

 

 

 

ES書くのを中断して1時間程ブログを書いていた愚か者はこちらです。

 

ということで「教養のあるブス」に一歩でも近づくために頑張ります。(何を)

 

 

 

 

 

ではでは

 

 

 

嫌いな言葉(ミーハー編)

どうも、ミーハーです。

今日も今日とて御社でした。

 

 

さっきもう1人の私が「嫌いな言葉」について言及していたので、私もそれについて少し…

 

私はそんなに嫌いな言葉も嫌いな人も嫌いな食べ物もない方なんですが(笑)

 

あえてあげるなら

「親友」 

かなあ…

 

親友って言葉は別に嫌いじゃないんです。

ただ、「親友=一番の友達=一人しかいちゃいけない」って考えが

どうも苦手で…

 

女の子はありがちですよね(というか男でいう人見たことない笑)

「親友だよね?」

「私のこと一番だよね?」

「親友だったじゃん…」

みたいな。

 

いや、何その前提(笑)私のこと一番だよね?って彼氏かよ(笑)

 

わざわざ確認するってことはその程度の仲だし、

便利なときだけその言葉使ってる感じがしますよね

 

小学生の言う、「一生のお願い> <」と同レベルです

 

友達の母数は少ないですが

私には親友というか大切な友達と呼べる人が4、5人くらいいます

趣味の話をする友達、悩みを打ち明ける友達、なんかよくわかんないこと話す友達…

 

複数いたら…ダメですか?

 

別に男じゃないんだし(笑)

 

 

 

まあ、そんなとこです。

特に嫌いな言葉、ないですね(えっ)

 

 

余談ですが「人に嘘をついたらいけません」って教える世の親たち、苦手です。

 

 

これについてはまた今度覚えてたら書きたいと思います。

 

 

 

 

 

ではでは

 

 

 

 

 

油そば美味しい

嫌いな言葉

わたしの嫌いな言葉は2つあります。
興味はないと思いますが共感を得たいというだけで
とりあえず書いていきたいと思います。

それは『うざい』と『可哀想』です。

なんで嫌いになったのか分からないですが
なんとなく気持ちがもやっとするんですね。
この言葉たちを聞くと。

『うざい』という言葉はとても便利だと思います。
なんかあったらとりあえず『うざい』と言えば済む感じがありますよね。
なんとなくの気持ちの表現がこの『うざい』という言葉に集約されてる感じを覚えます。
私としてはなにがうざいの?
ただ言葉を尽くしたくないだけの逃げなんじゃないの?
という疑問がでてきてしまいます。
この便利な3文字。
便利ではあるけれど、多用するような言葉ではないかなと思います。

2つ目の『可哀想』はこれまたもやっとします。
可哀想だからなに?ってなっちゃうんですね。笑
性格が悪いのかもしれません。
同情するなら金をくれと言われてるように
同情はあまり意味がないと思います。
(全くないわけではないです)
同情してほしい時はあります。
でも『可哀想』っていう言葉は
勝手な自分のイメージですが
見下してるような感じが含まれてる気がしてならないんですよね。
わたしにはどうしようもないけど
とりあえず言葉をかけておこうという
慈悲的な一面があると思うんです。
だからこそ『可哀想』っていう言葉を言っている人を見ると
あぁ、この人は相手のことを
自分より下の人間だと思ってるんだなぁと
感じてしまうことがあります。

そんなこと考えたことないって思う人もいるかもしれません。
少し考えすぎなところもあるかもしれないです。
でも日々の会話でどのような言葉が人を傷つけ、
なぜそれが傷つけるような言葉となり得るのか考えていかないといけないなと感じます。
使う人によっても言葉の伝わり方は違いますし。

一つ言えることは本当に言葉って難しい。

では。

 

自分の存在価値とは

電車の中だと悶々と考えてしまうことが多いですね。

ふとわたしの友達の友達が
自分の価値がないから死にたいって
言ってたことを思い出したので、
自分の価値について書きたいと思います。

そもそも自分の価値とはなんなのか。
値段をつけるわけでもないのに
自分の『価値』を何で測るんだと
最近は思うようになりました。

最初は『自分の価値』というと
他人から認められたり、
必要とされる存在のことだと思っていました。

結構このような考え方の人は
多いのではないでしょうか。

例えばいじめとかは典型的な存在価値の話に
直結するように思います。

自分の存在をいないものとされる無視や
暴力行為が伴ういじめを介して
そのように扱われるなんて
自分の存在価値がないからだ。と。

しかし、他人から認められる、
必要とされるにはそれなりの努力が必要です。
他人に粗末に扱われたからといって
存在価値がないと考えるのは
あまりにも単純すぎるのではないかと思います。
別に努力しろなんて言いません。
わざわざ周りの人に合わせて
生きるなんて息苦しいですから。

実際存在価値を決めるのは誰でもないです。

生まれたからにはそれなりの意味がある。
それだけでいいと思います。

その友達には誰かが必要としている限り
生き続けた方がいいんじゃない?と言いましたが、
必要とされない人ももしかしたらいる
ということを見逃してました。

そもそも人間を価値という
ものさしではかることが意味わからないのです。

加えて言えることは
死ぬよりも圧倒的に生きてる方がいい。ということ。

わたしもよく死にたくなることはあります。
でもその時に思うのです。
『今死んだら結婚も出産も女性としての役割・機能が果たせずに死ぬのか!』と。
まぁわたしは1番女に生まれたからには
やってみたいと思っているライフイベントなので。笑

ただ生きているのが辛いのであれば、
自分の中で何か大切なものを守るために生きる
というのもいいんじゃないかなぁって思います。

では。

なぜ共同ブログなのか?

こんにちは。ミーハー就活生です。

今はサイゼリヤで次の御社の説明会までの暇を潰しているところです。

ちゃっかりハマってしまったブログ…

おそらくあと一週間もしないうちに飽きが来ると思うのでそれまで少々お付き合いを

 

 

 

何で共同でブログを始めようと思ったかについて書きたいと思います。

共同ブログ、懐かしい響きですね。

一昔前は流行っていたような気がしますね

 

 

ずばり、私が共同ブログを

始めようとしたきっかけは…

 

 

ノリです

 

 

 

ノリなんです。昨晩もうひとりの私と電話しながら

「なんか、はじめね?w」

「二人でブログでもやる?w」

「それで儲かったりしてwww(儲かりません)」

そんなノリで開設にまで至りました。

 

まあきっかけはノリなんですけど、いざ始めるとすごく充足感?というか安心感?みたいなものが生まれました。

 

というのも、私が元々文章を書くのが結構好きで、それを今まではTwitterという「檻」の中で発散していたのがブログを書くことでもっと広い空間へ開放されたような気分になったから

ですかね

意味がめっちゃ分からないですね、

 

なんていうか、今まで私は独りでTwitterのアカウントを無数に(盛)作って何かあるたびにそこで呟いてたんですよ。

でもなんか、呟くことで少し楽にはなるんですけど、どうしても心の底にある孤独感が拭えないんですよね。

 

ブログってその点いいですね(小並感)

 

のびのびと書けるのでライター()になったような気分を味わえます。あくまで自己満

 

もうひとつ

共同でやっていること

 

これが私の心を満たしてくれるのではないかと思います。 

月並みなことを言うと、

1人じゃないんだなーって思うんです。

 

最近は就活就活就活と孤独な毎日を送っていて友達に会う機会も激減

会ったら会ったで聞きたくもない選考状況を聞かされて病むという

 

そんな中、同じ文系でも目指してるところが全然違う友達がいるっていうのはなんて言うかとても、

気が楽で心強いです

 

そんな彼女と共同ブログを運営することで

ライター気分と連帯感(?)を同時に味わえるわけです

 

 

目の前のアラビアータを食べるのを忘れて夢中で記事を書いてました。

シャツを汚さないように残りを食べたいと思います。

 

 

ではでは